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大須賀淳
2024.4.13 07:30その他ニュース

会津の山奥でつながる、愛子さまと昭憲皇太后のエートス

2024年4月10日、前日の荒天から一転した「天照す」快晴の中で挙行された愛子さまの明治神宮参拝は、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の没後110年に際してのものでした。

 

それに関してのこちらの記事の一節に「!!!」となる部分がありました。

 

当該部分を引用します。


1888年、磐梯山が噴火した際に、昭憲皇太后の意向で日本赤十字社から医師が派遣された。これが日本赤十字社の最初の災害救護活動となった。

また、1912年に昭憲皇太后は各国赤十字活動の支援のため10万円、現在の3億5000万円に相当する額を寄付された。これを機に、昭憲皇太后基金が創設され、100年以上の歴史をもつ世界最古の国際人道基金として現在も続いている。

今回の参拝で、愛子さまは大学卒業と就職について報告されたとみられているが、深い縁がある日本赤十字社への就職に、昭憲皇太后もきっと喜ばれていることだろう。


この1888年(明治21年)の会津・磐梯山の噴火は凄まじいもので、下記写真の赤丸で囲った部分に元々あった山体が吹き飛ぶレベルのものでした(なので、戊辰戦争の時に白虎隊たちが見ていた磐梯山は、現在の姿とは異なります)。

 

山から流れた土砂は周囲の河川をせきとめ、いくつもの湖沼ができました。その中でも最大のものが「桧原湖」です。

 

地図で桧原湖を見ると、近くに「桜峠」という場所があるのですが、

 

ここは、愛子さまのご生誕を祝って全国から集まった寄付で3000本もの山桜が植えられた場所。植樹から20余年経った現在、桃源郷のような光景となっています!

 

昭憲皇太后は明治天皇のお后ですが、ご懐妊に恵まれなかったため(大正天皇の生母は側室の柳原愛子)、愛子さまと血のつながりはありません。

 

しかし、昭憲皇太后が日本赤十字社を通して慈愛を向けた地で、(それとは直接関係なく)愛子さまのご生誕を祝福する桜が国民から3000本も贈られ、その木が育って百花を開かせたタイミングで、愛子さまが日本赤十字社に就職される。

 

国家の君主家と国民との、こんな幸せな関係性は、そうそう無いでしょう。

 

2千数百年を持ち出すまでもなく、国民と皇室の幸福な関係は数え切れないほど存在しますし、昭憲皇太后のエートスは、数代を経た後、これ以上無いほどの明確な形で愛子さまへと受け継がれました。

 

「保守」を自称される方々に問いたい。こうした、自然でありながらも熱い血潮を感じる皇室と国民の物語と、打算的な「オツキアイ」で賛同する男系男子固執(違う?ほんと?心のつながりを踏みにじってでも「男系」にこだわるの?それがあなたの性根?)、どちらを選ぶのですか?

 

大須賀淳

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